2009年11月11日水曜日

ふっかつのじゅもんを いれてください

 今回は、古くから存在するクソゲーとは一体何なのか?ということについて採り上げたいと思う。

 クソゲーとは、一般に「つまらない」、「おもしろくない」ゲームを指す俗称である。

 おもしろくないゲームをクソゲーと呼ぶようになってから久しいが、その歴史は古くゲーム黎明期にまで遡る。

 私自身、いつ頃からそう呼び始めたのか定かではないが、ゲーム情報誌などに掲載されたものなどを読んで影響を受けたのだと思う。

 Wikipediaによると、イラストレータみうらじゅん氏による造語が語源だとする見方が通説であると書かれている。

 では、どのようなゲームをクソゲーと呼ぶのか検証していきたいと思う。

 まず、語源となったみうらじゅん氏がクソゲーと呼んだゲームが1985年に発売されたファミコンの「いっき」である。

 「いっき」とは、その名の通り百姓一揆をテーマにしたもので、2人同時プレイも可能な見下ろし方のアクションゲームである。

 ファミコンではありがちな一発即死のゲームではあるが、2人同時プレイができることもあって、よく友達の家でプレイしていたのを記憶している。

 このゲームをプレイしていた当時は、クソゲーなんて意識はしていなかったが、みうらじゅん氏が、そう呼ぶようになったのは、人気だった「ドラゴンクエスト」の抱き合わせソフトとして強制的に「いっき」を購入させられたことが影響していたのだろうと思う。

 今では考えにくいことだが、人気のあるゲームに売れ残ったゲームをいっしょに買わせるという手法は当時よく目にした光景である。

 これは「ドラゴンクエストIII」まで続くことになるが、社会現象と呼べる程影響が出てくると、ニュース等でも報道されるようになり、しだいに沈静化していくことになる。

 この「いっき」というゲームそのものについては、面数が少ないことや一瞬で死んでしまうようなことがあるものの、農民が主役という稀な要素も相まって現代でも語られることの多いゲームである。

 ちなみに3面の堀の隅でやられ、左を押しながら鎌を投げ続けると無敵である。

 そしてクソゲーという言葉が、一般的に広く認知されることになる基を築いたゲームがやはりファミコンのゲームである「スペランカー」だ。

 当時のゲーム情報誌等でも、「ゲーム史上最弱の主人公」として採り上げられるなど話題になった。

 その弱さは他に類を見ない程で、穴に落ちて死亡ならまだしも、自分の背の高さを超えるような落差からジャンプしただけで死んでしまうという理不尽極まりないものが多く、皆首を傾げた。

 一発即死のゲームは当時よく見かけたのだが、敵にやられるよりもこのゲームは自損事故に注意を払わなくてはならなかった。

 何もしないで立ち止まっていても酸欠で死亡するという八方塞がりの仕様なので危険を承知の上で出来るだけ安全に素早く行動することを余儀なくされた。

 更に貧相なグラフィックに豆粒のようなキャラクター群、使い回しのステージなどが、これに追い討ちをかける。

 カードリッジに赤く光る発光ダイオードは、危険を示すものとして現代でも語り継がれている。

 「スペランカー」については、友達の家で遊ぶ程度で購入はしていなかったことから私は被害を免れた。

 しかし、長らくゲームをやり続けていけば、必ずクソゲーという壁にぶち当たるもので私自身が被害にあってしまったゲームも数知れない。

 ファミコンにおいて印象に残っているのは「元祖西遊記スーパーモンキーズ」と「たけしの挑戦状」だろうか。

 永遠とも呼べるような時の中に身を置くハメになる「元祖西遊記スーパーモンキーズ」を攻略本も無しに混成魔王を倒し、苦労してクリアしたのを覚えている。

 「たけしの挑戦状」はタイトル画面から既にゲームが開始しているという、一風変わったものであったが、そうと知りつつ購入した。

 やはりこれも自力でクリアしたのが印象深い。

 前者の「元祖西遊記スーパーモンキーズ」は、500円で叩き売られていたものを衝動買いしてしまったのでまだ良かったが、「たけしの挑戦状」はフルプライスで購入してしまったので被害額が大きくなってしまった。

 私が所持していた物の中にクソゲーと呼ばれるものは他に「世紀末救世主伝説 北斗の拳2」がある。

 初代北斗の拳は、ケンシロウが唯の青い服を着た人でしかなかったが、2ではかろうじてケンシロウと認識できる容姿を保っている。

 このゲームは難しさのあまり、雑誌の攻略や裏技を参考にしてクリアしたと思われるが、印象に乏しく定かではない。(名も無い修羅がラスボスだったのはよく覚えてる。)

 おもしろかったというような記憶もない。

 格言に「北斗に名作無し」というようなものがあるが、身をもって体験した貴重なゲームだ。

 北斗の拳はシリーズを重ねるも良作に恵まれず、その後様々なゲーム機で登場することになるが、やはり芳しくない結果に終わっている。

 私が一番最近プレイした北斗の拳はニンテンドーDSの「北斗の拳 ~北斗神拳伝承者の道~」であるが、やはり格言通りのクソゲーだった。(個人的には関係ないが、PS3で発売予定の「北斗無双」の出来が心配である。)

 その他にも「ディーヴァ」や「キャッスルエクセレント」なども衝動買いによりクソゲーを掴まされてしまったが、触りだけで止めてしまい、後に二束三文で売り飛ばした。(後に知ったことだが、キャッスルエクセレントは移植作として出来がよかったらしい。)

 ファミコンゲームの中には、あれだけ難儀なゲームをよく最後まで続けたよなってのが結構ある。

 クソゲーではないが、ドラクエの中でも最高難易度を誇るファミコン版元祖「ドラゴンクエストII」などにおいては、ロンダルギアの迷宮の難しさよりも、復活の呪文に苦労した。

 そのドラクエIIは持っていなかったので、毎日のように呪文書(復活の呪文が長々と書き写されたノート)片手に友達の家でプレイしていたことが思い返される。(私の周りでは、そういう人が当たり前のようにいた。)

 ドラクエIIを所持している友達の家を転々としていたのだが、今では考えられないようなモチベーションだ。

 クソゲーなども含め、途方も無いくらい苦労するゲームを当時は何故飽きずにやり続けられたのか今では知る由も無い。

 16bit機の時代に入ると、ゲームを見る目も肥えてきたせいもありクソゲーと遭遇する機会は格段に減ったのだが、ゲーム情報誌などの読者レース等でクソゲーの話題が盛り上がりを見せるようになっていた。

 スーパーファミコン版「ファイナルファイト」の誘惑に駆られ購入するまではメガドライブを主にプレイしており、私が購入した初の16bit機でもある。

 そういうこともあって、16bit時代のクソゲーはメガドライブのものが印象深い。

 初期にメガドライブでクソゲーと名指しされたのは「おそ松くん」だった。

 意味不明な内容に加え、やる気を削ぐような演出の数々が原因と思われる。

 後期に入り、俄然クソゲーとして君臨し続けたのは「ソード・オブ・ソダン」略式名称S・O・Sだ。

 このゲームはある意味ユーザーが支えた(讃えた?)クソゲーである。

 メガドライブのクソゲーキングといったらS・O・Sで決まりだが、個人的に印象に残っているのは、「XDR」である。

 イカがくたばったような自機を筆頭に貧弱なサウンドがそれに追い討ちをかけるなど、ゲーム情報誌の中でもボロクソに叩かれていた。

 それでもわずか2ヶ月で作った割には、よく出来ているなどフォローにもなっていないフォローが痛々しくも笑いを誘った。

 当時のゲーム情報誌は悪いものは悪いと断言するところが清々しかった。(今ではとても考えられないような内容だ。)

 スーパーファミコンをやるようになってからは、ストリートファイターIIの影響もあってか、格ゲー一色に染まることになる。

 良ゲーにしてもクソゲーにしても格ゲーなのである。

 その頃のクソゲーはあまり印象に残っていない、というのも格ゲーを求めるあまり、NEO・GEOを購入し、文句のつけられない移植作を手にしていたからである。

 ROMカードリッジ版だったので、ソフト単体の値段が2万円を超えることもあり、購入するソフトそのものの数が少なく、厳選して購入していたので必然的に失敗が少なかったと言える。

 32bit時代に入ると、今や伝説級のクソゲーとして知られる「デスクリムゾン」が登場する。

 私自身は、「デスクリムゾン」を購入していないので、このゲームがどんなものかわからないが、ゲーム情報誌等では、よく話題に上っていた。

 クソゲー愛好家のファンの間ではこのゲームを「デス様」と呼び、ファンと開発者が仲良く写った写真が掲載されるなど、コミュニティが形成されるまでに至る。

 現代では、雑誌などではなくクソゲー・オブ・ザ・イヤーを始めとするクソゲーの情報交換がインターネット上で盛んに行われている。

 個人的な見解としてはクソゲー・オブ・ザ・イヤーで取り上げられているようなゲームはクソゲーと言うよりは、バグゲーだと感じている。

 おもしろくないことに違いはないが、ゲームとしてと言うよりは、ゲームにもなっていない不良品なので論じる価値すらないような物だということだ。

 ただ、クソゲー・オブ・ザ・イヤーのレビューは読むだけでもおもしろいので、それはそれでいいと思う。

 ゲームとしてクソゲーと定義されるにはそれなりの条件というものが必要になってくる。

 まず、インパクトがあり、多くの人々の記憶に残るようなものであること。

 時が経っても話題になるようなものであること。

 クソゲーと呼ばれつつも、そのゲームを愛する人が多く存在しコミュニティを形成していること、などが挙げられる。

 ゲームの出来を分類すると次のようになる。

 
 神ゲー … 他に類をみない誰もが認める最高傑作。

 良ゲー … 多くの人が認める良作。

 クソゲー … コミュニティを形成する程、鮮烈な印象を残し人々の記憶に残り続ける作品。

 バグゲー … プレイに支障を及ぼす程の致命的な欠陥を抱えた作品。

 バカゲー … クソゲーに近いが、意味不明な内容が多く一部の人にしか受け入れられないニッチな作品

 カスゲー … 多くの人がその存在すら知らないような評価の対象にすらならない代物。


 数多くのゲームが排出された現代においては単にクソゲーといっても唯つまらない物ということだけに留まらず、ある一定の評価を受けたものであると考えた方がよさそうだ。

 「スペランカー」を例にとってみると、そのリメイク作品として「みんなでスペランカー」となり再び我々の前に姿を現しているところからも、そのことが伺える。

 ヴァーチャルコンソールでは、過去のゲーム機で販売された古いゲームがダウンロードできるようになっているので、興味のある方はプレイしてみるといいだろう。

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