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2009年9月21日月曜日

強引な話題性作り虚しく空振り、しょっぱい結果

 空前のというか空転のゲーム業界、相次ぐ販売不振は既に末期状態とも呼べる様相を呈している。

 そんなゲーム業界の風潮を危惧してか、最近では強引とも言えるような話題性作りによって状況を打開しようとする動きが見て取れるが功を奏していないようだ。

 最近の主な事例を見てみるとまず挙げられるのが『428 ~封鎖された渋谷で~』発売前から散々話題作りに終始していたにも関わらず売れたのはたったの1万7千本。

 これは発売から3日間という短期間における数字だが、それにしても少ない。

 その後は10位以内にもランクされず、あえなく圏外だ。

 失敗の要因としては、まずノベルというジャンルをPS3という最新の据え置き型で出すべきものだったのか疑わしい。

 はっきり言ってこの程度のものならPS2でもやれたはず、それを無理やりPS3で販売することに無理があった。

 更に、価格が7140円というのも頂けない。

 同程度の価格の物と比較して技術的にも開発予算的にも釣り合いがとれない。

 消費者の感覚からしてみれば、ノベルという時点で既に陳腐化したものであり、ネット上に無料のアマチュア作品がごろごろ転がっている現状からすると、多く見積もっても2500円程度が妥当である。

 次に、発売直前になって不自然とも言えるくらい急にメディアに取り沙汰された『ラブプラス』。

 おそらくこれは、販売メーカーが各メディアに広告料のバラ撒きを行ったものと思われるが、結局販売本数は6万8千本と振るわなかった。

 上記の2つに限って言えば、おそらく技術の高等化や製作の長期化による開発費の高騰を抑制する為、それを既存の技術や枯れたジャンルによって穴埋めし、利益幅を増やす狙いがあるのだろう。

 しかし結果はご覧の様な有様である。

 これらとは少し違った例でみると、幹部の「まだ死にたくない」という悲痛な発言で注目を集めたマーベラスエンターテインメント(以下マーベラス)の『王様物語』がある。

 王国ワラワラRPGというよくわからないジャンルではあるが、こちらは更に手酷いことになっているようだ。

 驚くことに販売本数は現在わずか6千4百本という関係者が聞いたら涙物の結果だ。

 個人的な見解としては『王様物語』そのものはそれ程悪い出来では無い様に思える。

 むしろ興味を惹く部分があることも事実だ。

 しかしながら購買意欲が沸くかと言えば、そこまでには至らないのも事実。(なによりWiiを所持していない、持っていたとしても今なら任天堂の『Wii Sports Resort』を手に取るだろう。)

 マーベラスの作品については、『王様物語』に限らず『NO MORE HEROES』や『朧村正』等にも、同じことが言える。

 否定的な意見ばかり陳べているが私自身がマーベラスを毛嫌いしているわけではない、むしろマーベラスの開発者達の気概や情熱が過去の作品からも、よく伝わってくるので好意的な程だ。(『NO MORE HEROES』では技術力が、『朧村正』ではその意気込みがよくわかる。)

 しかし、何かが足りない、もう一押し足りない。

 それは何かと言えば、オリジナリティが足りない、『Grand Theft Auto』の影響をまったく受けなかったと言ったら嘘になる『NO MORE HEROES』、過去に幾たびも体験したことがあるような『朧村正』(2Dアクションとしてはトップクラスの作り込みであることは皆が認めているところだが。)そして、多少乱暴な言い回しかもわからないが、『王様物語』はピクミン風だ。

 どれも丁寧に作られているのが痛い程よくわかるが、いつかどこかで見たようなゲームばかりなのは否めない。

 「マーベラスと言ったらコレ!」と誰でも知っているような看板タイトルが存在していれば、その他のゲームにも多少なりとも影響を与えていたはずだ。

 その点において惜しいのが『牧場物語』だ。

 有名タイトルではあるがもう一伸び欲しい、それが出来ずにいるのは初作から中身がたいして変わっておらず、ゲーム内で出来る“作業”が増えているだけにしか思えない点だ。

 伸びしろのあるゲームだと思うので更に煮詰めて誰でも知っているような看板タイトルに押し上げてほしい。

 その他に売れない理由があるとすれば、マーベラスは商売下手だ。

 『428 ~封鎖された渋谷で~』や『ラブプラス』のような行き当たりばったりのような捨てゴマタイトルならいざ知らず、『王様物語』のような数年かけて作り込んだ自社の主力製品を何も、あの世界的王者ポケモンにぶつけることはないでしょう。

 その辺りもどこか職人気質のマーベラスっぽいのだが、総じてゲーム自体は惜しい作りなのが本当に惜しいので更に頑張って頂きたい。

 続いては先日、富野氏から既に終わってる、商品の再生産をしているに過ぎないと名指しされたガンダムです。

 バンナムから発売された『機動戦士ガンダム戦記』は正にそのものズバリの商品だ。

 このメーカーが作るガンダムは期待してやってみるとアレ?ってな感じになり、新しく出たから次こそは…と思ってやってみるとやっぱりアレ?ってな感じになってしまうことで有名です。

 しかしガンダムの熱狂的ファンや中身なんかどうでもいいガンダムコレクターというブレない(?)固定層がいるおかげで販売本数は21万。

 これを多いとみるか少ないとみるかだが、やはり微妙というしか他ない。

 わずか1日で140万本という化け物ポケモンや出す度にミリオン連発の任天堂のゲームと比べるとやっぱり…ねぇ?

 消費者の経済状況を反映してか、極端に売れるものとそうでないものとにハッキリ分かれているのが見て取れる。

 絶対にハズレのない手堅いものやユーザーが本当に欲しいゲームだけを厳選しているのが伺える内容だ。

 年末商戦を控えている今の時期で選べるものが限られているとはいえ、ゲームによって機種が違うとはいえ、出て行くものが出て行くユーザーの懐は一つなのだから、当然の結果と言えるのかもしれない。

 ユーザーの声に応えてイベントを行ったゲーム(ポケモンなんかは世界中から要望が殺到?)と頼まれてもいないのにメーカーが“仕掛けた”イベントを展開したゲームはまるで先日の衆議院選挙を見るかのように勝ち組と負け組が明確になっているようですが、これを関係者はどのように捉えているのでしょうか?。

 わかっておられない人は「夢よもう一度」なのでしょうね(笑)。

 最近よく見かける話題性作りとしては、今海外で話題のとか、海外で話題になっているらしい等の表現が見受けられる様になった。

 日本ではまだ発売されていないが、一例を挙げるとすれば『MadWorld』がある。

 このゲームはモノクロを基調としながらも血だけは赤い色を用いて強調するという独特のスタンスと残虐な描写が持ち味だ。

 血が赤く残虐な描写というのはこれまでにも数多くあったのでモノクロという部分だけが独創的と言われればそれまでなのだが、個人的には関心のあったゲームである。

 北米で今年3月に先行発売されたのだが、売れ行きの程は評判ほどではなく12万3千本程度で芳しくない。

 『MadWorld』の失敗点は機種の選別にあると思う。

 Wiiは現在最も売れている据え置き型のゲーム機であることから、その点だけについて言うならば、この機種を選別したのは間違いではないと言えそうなものだが、実際にはそう単純な話ではない。

 Wiiでこれまでに発売され人気のあるゲームはカジュアル系のゲームであり、それをプレイしているのはライトユーザーが大半を占める。

 だからこそ、コアユーザーがプレイするようなゲームはWiiでは稀であり、開拓の余地があると考えるものわかるが、これは無謀とか無茶と言うよりバカである。

 既にWiiを所有しているライトユーザーを振り向かせ、Wiiをまだ所持していないコアユーザーを本体と同時に購入させるというのは、生易しいことじゃない。

 それ程のチャレンジが可能なのは、すべてのユーザーを一つのゲームで牽引するだけのビッグタイトルでなければ不可能な話で、まして世に名も知られていないような新参者がやるようなことでは決してない。

 素直にこの手のゲームはXbox360で発売し様子を見るべきであったと言える。(出来ればPC版で発売して欲しいのだが。)

 操作部分に関しては、別にヌンチャクコントローラーでなくてもアナログスティックやマウス等でもやれたはずだ。

 Wiiは他の機種と比べスペック的に劣るのでそのままでいいというわけにはいかないかもしれないが、ハイデフに対応するだけでも結構いけるハズ。(モノクロの部分は残しておいた方が絶対にいいが、もう少し見やすくした方がいいかもしれない。今のままだと少々眼が疲れそうだ。)

 国内でも販売が決定している『MadWorld』だが、個人的には興味を惹くものの国内で販売となると不安が残る、というより尽きない。

 何故なら、あの『Gears of War 2』ですら、発売直後ベスト10内にランクインしただけでその後はあっさり姿を消しているからだ。

 この手のゲームは最初に買う者だけが買ってそれっきりというパターンが多い。

 比べたくはないのだが、マニアックなギャルゲーをその筋の方が購入するのと似通った経路を辿ってしまう。

 『MadWorld』についても全く同じような展開に陥る可能性があり予断ならぬ状況と言えよう。

 目を覆いたくなるような残虐性と同様の結果にならないことを祈るしかない(笑)。

 海外市場を意識したゲームや元から海外で開発され売れたゲームなどは国内でどうも売れ行きがよくないのは、未だに根強く海外ゲームへのアレルギーが残っているからだろうか?

 マーベラスの『NO MORE HEROES』は海外ではそれなりに評判になり、北米で20万本を売り上げ、これに欧州の分も含めると40万本売れた。(大ヒットとまでは呼べないが海外であまり知られていないメーカーとしては頑張った方ではないだろうか?)

 その『NO MORE HEROES』も国内ではたったの4万本しか売れなかった。(これも機種選別に誤りがあったかもしれない。せめてPS3で販売していれば…。)

 これらのことから海外の評判や話題といったものが、必ずしも出鱈目であるとか当てに出来ないというわけではない。

 彼らの批評は的を得たものであるし、過大評価もされておらず適切だ。

 しかしながら、彼らは素直に良い点をピックアップし的確に指摘しているものの、全体の評価として良いとまでは答えていないように思える。(良いとは言ったけど自分で金出して買うとまでは言ってないよ、ぐらいに思っていないとえらい目にあう。)

 何故なら、それを示すかのように実際にはそれほど売れていないからだ。

 海外での良い評判というものは参考程度にはなるが、クリエイティブな部分のみを採り上げているだけでゲームとして全体の批評をしているわけではないと考えるのがよさそうだ。

 もちろん、そういった論評ばかりではないのだが、少なくとも国内における“海外で話題”と言われる部分においては、そういったものが多いように思う。

 最後に年末商戦が控えているが、勝者のいない激しい食い合いとなるのか、それとも一強他弱になるのか楽しみだ。

2009年9月4日金曜日

ガンダムは終わってる バッサリ富野由悠季氏

 ゲーム開発者向けのイベントCESA Developers Conference 2009(CEDEC 2009)において機動戦士ガンダムの生みの親として知られる富野由悠季氏が基調講演を行った。

 ※媒体によって内容がマチマチで内容も長いので詳細は省く。
 “CEDEC 2009 富野由悠季”辺りで検索すればいくつか引っかかる筈なので個々で確認して欲しい。(媒体によってどこに違いがあるのか見比べてみるのもおもしろい。)

 演目から「慣れたら死ぬぞ」などと、相変わらずの富野節は健在。


・アニメは今も昔も認められていない


 話は1960年代のアニメ業界を取り巻く環境から語られている。

 当時はアニメや漫画といったものは不遇に扱われ映画やテレビ業界といったものと比べ下に見られていたという。

 今でこそアニメや漫画は一般的になりつつあるが、それでもアニメや漫画が映画だということを認めてもらえないというのが現状らしい。


・業態や組織が固まってくると動脈硬化をおこす


 アニメ業界の前に映画業界がありゲーム業界の前にアニメ業界がある。

 そしてゲーム業界は30年が経ち業態や組織が固まると同時に動脈硬化を引き起こす恐れがある。

 これを打破する為にどうしたらいいか前の時代を経験している者として知っていることをゲーム業界に伝えることには意味があると思い講演を引き受けた旨を話した。


・慣れたら死んじゃう、それだけ


 先人の立場から言わせてもらえば基本的に「慣れたら死んじゃうんだよね。それだけなんだよね。」に行き着くらしい。

 それを踏まえた上で、ゲーム業界に限らず30年ぐらい経って、次の30年、50年を考えたとき基本的にハウツーは無い、あるなら自分が既にやってる、ここでしゃべるのは自分にもわからないからだなどと、なんとも核心を突いたというか的を得た発言が飛び出す。

 それ以外にも自身の作品であるガンダムについても語られている。

 今年ガンダムが30周年を迎え、この先を考えたときガンダムは既に終わっている、商品の再生産を行っているにすぎないと述べている。


・ハードウェアを売ること自体が悪


 ここまでくるともう止まらない止められない富野節、続いてはゲームそのものが悪というゲーム業界関係者を前にしての大胆発言。

 ここでいうゲームとは一般的にビデオゲームなどと呼ばれるものを主体に進められているものの、それだけに留まらず、かつてからあるテーブルゲームなども含めた大きな枠組みにおいてのゲームと捉えられる。

 ゲームが癒めごとというのは怪しい無駄に時間を消費する生産性の無いものだと考えてほしいと苦言を呈し、電子ツールを使ったゲームなんてものはエネルギーを消費しているだけだから何億台というオーダーでハードウェアを売ること自体が悪であり、またガンプラなども同様で全くエコではないと言い切っている。


・目標の百分の一でも達成できれば、その時代のトップに立てる


 「我々人類は知恵がある。時間を消費せず,欲求を満たすものをやってほしい。それが僕からの願いです。きっと無理でしょうね。」

 じ、自己完結?(汗)

「最下層と言われ続けてきたテレビや漫画の仕事をしながら、自分の理想像だけをずっと意識してやってきた、いつかあのじじい黙らせてやる、そう思ってやってきた。」

 「目標は決定的に高いところへ置き、その百分の一でも達成できれば、その時代のトップに立て、現状の自分に満足することがなくなる。」

 似たようなこと考えている人は多いように思えるけども現実化している人は一握りな感じがしますね。


・宗教は物事を考えなくて済むが、時代を構築できない


17世紀までの人類は信じることで物事を判断してきた、信じてさえいればものを考えないで済む宗教が必要だった。

 「なるほど、その通りですね。」なんてへなちょこゲーマー兼ライター風ならそう答えそうな場面、だが実際はこういった話題に関してはスルー。

 宗教にあることが真理だとするならば、全部突破できる筈。(うむ、たしかに全然突破されていない、それどころか改変を余技なくされているような…)

 宗教を信じている人が新しい時代を構築できるかと言えば違う、原理原則だけで物事を判断してはいけない、独自に考えるということをしていかなければいけない。

 17世紀に入ってから人類は“地動説”のような物事を観察してから判断することを覚えた。

 ここまでの話を聞くと現代でも宗教を信じている人って17世紀以前の化石のような人類に思えてきた。


・夢をもう一度、そんなことは絶対ないんだよ


 アニメ、ゲーム、宗教ときて週刊少年ジャンプにまで話は及ぶ。

 ジャンプは1994年をピークに発行部数が落ち込み続け、「ONE PIECE」や「NARUTO」といったものの連載で少し持ち直したと話す。

 ブ、BLEACHやその他は?眼中に無い?いやいやファンが何と言うか知りませんが言わんとすることはわかりますよハイ(笑)。

 話は更に続き、問題なのは少し持ち直しはしたが最高値へは絶対に戻れないということ、さっきから言ってる判断力の無い人は、習い性に陥って、「夢をもう一度」をしょっちゅうやるわけ、そんなの絶対ないんだよ。ジャンプのケースで明確に言える。

 などと爆弾発言、関係者が聞いたらなんと言うか、またまたバッサリ斬って落とした。


・CG作成ツールには個性が無い


 CGソフトウェアは道具、その道具をいかに使うかを考え、己がセンスで作品を仕上げなければいけないなんてことを言われたが、それは嘘八百。

 筆やペンなら個人それぞれみんな違う線が描ける、でもCGを作画する道具には個性が見えない、例えばキーボード打った瞬間とか。

 100人や200人、場合によっては500人がかりで作画した美女100人の顔がみんな同じ。

 道具に規制されているにも関わらず、クリエイティブな部分が残されていると思っている人が多くてビックリ。

 絵を描く作画に関していえば、CG用のソフトウェアもかなり対応できるようになったので、デザイナーから絵描きの仕事に移行しつつある、今後はもっと自由に作画できるのではないかと思っているそうだ。

 言われてみれば、フルCGアニメやゲームに限らず、最近のアニメを見渡してみると、似たような色使いや見た目はいかにもCG用のソフトウェア使って作りましたみたいなのが多く、代わり映えしない。


・技術や道具を使うことに振り回されている


 次の話題に対して、60年前、無用の長物とわかっていて作ることだけを優先し、どのように使うのか深く考慮することも無しに戦艦大和を建造してしまったことを例に挙げた。

 現在使われているCGや開発環境などの道具は使うことだけに振り回されて、これら道具を使ってなにを表現するかという思考回路が遮断されている。

 使うことだけに精一杯になっていて10年後に耐えられるものをここ10年考えられていなかった。

 なぜならこの10年テトリスがいまだ現役でそれを超えるものが現われていないのが証明。(海外に目を向ければ他にテトリスを超えたものがありそうなんだけど、テトリス自体旧ソ連製なんだよなぁ。)

 氏の発言には一理あり、たしかにこれまではハードウェアの進歩に合わせたゲーム作りが成されていた。

 今でもそれは変わらないが、国内に限ってみればハードウェアの進化に技術力が置いていかれているようにも思える。

 ようするにこれまでのゲーム作りの方程式ですらままならないのが現状だ。

 こんな技術があるから、このようなゲームになった、が今までのゲーム作りだったので、それをこんなゲームが作りたいからこのような技術を構築した、というようになるのは至難の業なのかもしれないが、やらなければ先は無いだろう。



 今回、富野由悠季氏の基調講演を読んで感じたのは、氏が団塊だとかRなんたらとかいう世代の枠には収まらない人物だということ。

 中年のカリスマであるとかナナロク、ハチロクといった、つまらぬ流行語にみられるような同年代、同世代にこだわるような小っさい器ではないというのが印象的だ。(語呂だけを意識してか6というなんとも中途半端な数字に対するこだわりが既に小さい(笑)。)

 歯に衣着せぬ物言いとよくいわれるが、自身の作品(ガンダム)に対してすら、「既に終わってる」なんて言える人間が他にいようか?

 大抵は、過去の栄光にしがみついて恥ずかしげもなく自画自賛するか、周囲から持ち上げられているにも関わらずいい気になっているかのどちらかだ。

 続編に次ぐ続編を連発して小銭を稼ごうとするせこい連中や、大手ゲームメーカーなどに対し、使い魔の如く媚びることで生計を立てている自称ゲーム評論家や専門家に氏の爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいくらいだ(笑)。

 個人的な忠告として、まず続編の連発だが頻繁に出しすぎるとユーザーは、どうせ次すぐでるから来年買おうなんて思っているうちに、作品そのものから遠ざかっていつのまにか忘れ去られることになる。(一度離れると途中からまた手を出すことへは躊躇するもの。)

 次、業界そのものが繁栄しないことには、その存在価値すらままならない評論家or専門家(共に自称である、ライセンス制でもなければ選挙で選ばれたわけでもない。)諸君だが、誰かの受け売りのようなウンチクをまるで自分で考えたかのようにもっともらしく語り、雑誌広告のような記事にまとめ上げて、はい終わりみたいなことは今後しない方がいい。

 そんなことより、幼稚園児並みのゲームスキルを少しは研いて、上級者の世界を少しは体感した上でないとレビュー記事は、単なる映画や読書の感想文と違いがないですよ。(見ただけ、聞いただけではお話にならない。)

 なにより、へなちょこのままじゃ何ら説得力がない。(出来もしないのに言うなってやつですよ?)

 極めつけは、なまっちょろい開発者や評論家or専門家の意見を拝見すると、彼らの考える将来のゲーム像は単に現在の映画(実写)並みのグラフィックになり、少しばかりAIが賢くなっただけで、ゲームの内容自体は現在と違いが無いものを遊んでいるように思える。

(GPUの向上によって写実的なグラフィック表現、GPGPUやCPUの向上で物理エンジンやAIの強化による高度な表現(群集や緻密な破壊表現等。)が可能になり、それがうまくできるようになったところで既存の、RPG、FPS、RTS、等と内容が変わらないものであるならいらない。)

 その程度の想像力や発想力しかない人達が開発や評論しているのかと思うと幻滅するしかない。

 ようするに、彼らの言う将来のゲームと現在のゲームとの違いは表現力の違いでしかないわけだが、それだけではゲーム業界に未来(さき)はない。


 久しぶりにすがすがしい内容(?)の富野氏の基調講演にこれ以上水を差したく無いのでここまでにしておきます。