2009年9月4日金曜日

ガンダムは終わってる バッサリ富野由悠季氏

 ゲーム開発者向けのイベントCESA Developers Conference 2009(CEDEC 2009)において機動戦士ガンダムの生みの親として知られる富野由悠季氏が基調講演を行った。

 ※媒体によって内容がマチマチで内容も長いので詳細は省く。
 “CEDEC 2009 富野由悠季”辺りで検索すればいくつか引っかかる筈なので個々で確認して欲しい。(媒体によってどこに違いがあるのか見比べてみるのもおもしろい。)

 演目から「慣れたら死ぬぞ」などと、相変わらずの富野節は健在。


・アニメは今も昔も認められていない


 話は1960年代のアニメ業界を取り巻く環境から語られている。

 当時はアニメや漫画といったものは不遇に扱われ映画やテレビ業界といったものと比べ下に見られていたという。

 今でこそアニメや漫画は一般的になりつつあるが、それでもアニメや漫画が映画だということを認めてもらえないというのが現状らしい。


・業態や組織が固まってくると動脈硬化をおこす


 アニメ業界の前に映画業界がありゲーム業界の前にアニメ業界がある。

 そしてゲーム業界は30年が経ち業態や組織が固まると同時に動脈硬化を引き起こす恐れがある。

 これを打破する為にどうしたらいいか前の時代を経験している者として知っていることをゲーム業界に伝えることには意味があると思い講演を引き受けた旨を話した。


・慣れたら死んじゃう、それだけ


 先人の立場から言わせてもらえば基本的に「慣れたら死んじゃうんだよね。それだけなんだよね。」に行き着くらしい。

 それを踏まえた上で、ゲーム業界に限らず30年ぐらい経って、次の30年、50年を考えたとき基本的にハウツーは無い、あるなら自分が既にやってる、ここでしゃべるのは自分にもわからないからだなどと、なんとも核心を突いたというか的を得た発言が飛び出す。

 それ以外にも自身の作品であるガンダムについても語られている。

 今年ガンダムが30周年を迎え、この先を考えたときガンダムは既に終わっている、商品の再生産を行っているにすぎないと述べている。


・ハードウェアを売ること自体が悪


 ここまでくるともう止まらない止められない富野節、続いてはゲームそのものが悪というゲーム業界関係者を前にしての大胆発言。

 ここでいうゲームとは一般的にビデオゲームなどと呼ばれるものを主体に進められているものの、それだけに留まらず、かつてからあるテーブルゲームなども含めた大きな枠組みにおいてのゲームと捉えられる。

 ゲームが癒めごとというのは怪しい無駄に時間を消費する生産性の無いものだと考えてほしいと苦言を呈し、電子ツールを使ったゲームなんてものはエネルギーを消費しているだけだから何億台というオーダーでハードウェアを売ること自体が悪であり、またガンプラなども同様で全くエコではないと言い切っている。


・目標の百分の一でも達成できれば、その時代のトップに立てる


 「我々人類は知恵がある。時間を消費せず,欲求を満たすものをやってほしい。それが僕からの願いです。きっと無理でしょうね。」

 じ、自己完結?(汗)

「最下層と言われ続けてきたテレビや漫画の仕事をしながら、自分の理想像だけをずっと意識してやってきた、いつかあのじじい黙らせてやる、そう思ってやってきた。」

 「目標は決定的に高いところへ置き、その百分の一でも達成できれば、その時代のトップに立て、現状の自分に満足することがなくなる。」

 似たようなこと考えている人は多いように思えるけども現実化している人は一握りな感じがしますね。


・宗教は物事を考えなくて済むが、時代を構築できない


17世紀までの人類は信じることで物事を判断してきた、信じてさえいればものを考えないで済む宗教が必要だった。

 「なるほど、その通りですね。」なんてへなちょこゲーマー兼ライター風ならそう答えそうな場面、だが実際はこういった話題に関してはスルー。

 宗教にあることが真理だとするならば、全部突破できる筈。(うむ、たしかに全然突破されていない、それどころか改変を余技なくされているような…)

 宗教を信じている人が新しい時代を構築できるかと言えば違う、原理原則だけで物事を判断してはいけない、独自に考えるということをしていかなければいけない。

 17世紀に入ってから人類は“地動説”のような物事を観察してから判断することを覚えた。

 ここまでの話を聞くと現代でも宗教を信じている人って17世紀以前の化石のような人類に思えてきた。


・夢をもう一度、そんなことは絶対ないんだよ


 アニメ、ゲーム、宗教ときて週刊少年ジャンプにまで話は及ぶ。

 ジャンプは1994年をピークに発行部数が落ち込み続け、「ONE PIECE」や「NARUTO」といったものの連載で少し持ち直したと話す。

 ブ、BLEACHやその他は?眼中に無い?いやいやファンが何と言うか知りませんが言わんとすることはわかりますよハイ(笑)。

 話は更に続き、問題なのは少し持ち直しはしたが最高値へは絶対に戻れないということ、さっきから言ってる判断力の無い人は、習い性に陥って、「夢をもう一度」をしょっちゅうやるわけ、そんなの絶対ないんだよ。ジャンプのケースで明確に言える。

 などと爆弾発言、関係者が聞いたらなんと言うか、またまたバッサリ斬って落とした。


・CG作成ツールには個性が無い


 CGソフトウェアは道具、その道具をいかに使うかを考え、己がセンスで作品を仕上げなければいけないなんてことを言われたが、それは嘘八百。

 筆やペンなら個人それぞれみんな違う線が描ける、でもCGを作画する道具には個性が見えない、例えばキーボード打った瞬間とか。

 100人や200人、場合によっては500人がかりで作画した美女100人の顔がみんな同じ。

 道具に規制されているにも関わらず、クリエイティブな部分が残されていると思っている人が多くてビックリ。

 絵を描く作画に関していえば、CG用のソフトウェアもかなり対応できるようになったので、デザイナーから絵描きの仕事に移行しつつある、今後はもっと自由に作画できるのではないかと思っているそうだ。

 言われてみれば、フルCGアニメやゲームに限らず、最近のアニメを見渡してみると、似たような色使いや見た目はいかにもCG用のソフトウェア使って作りましたみたいなのが多く、代わり映えしない。


・技術や道具を使うことに振り回されている


 次の話題に対して、60年前、無用の長物とわかっていて作ることだけを優先し、どのように使うのか深く考慮することも無しに戦艦大和を建造してしまったことを例に挙げた。

 現在使われているCGや開発環境などの道具は使うことだけに振り回されて、これら道具を使ってなにを表現するかという思考回路が遮断されている。

 使うことだけに精一杯になっていて10年後に耐えられるものをここ10年考えられていなかった。

 なぜならこの10年テトリスがいまだ現役でそれを超えるものが現われていないのが証明。(海外に目を向ければ他にテトリスを超えたものがありそうなんだけど、テトリス自体旧ソ連製なんだよなぁ。)

 氏の発言には一理あり、たしかにこれまではハードウェアの進歩に合わせたゲーム作りが成されていた。

 今でもそれは変わらないが、国内に限ってみればハードウェアの進化に技術力が置いていかれているようにも思える。

 ようするにこれまでのゲーム作りの方程式ですらままならないのが現状だ。

 こんな技術があるから、このようなゲームになった、が今までのゲーム作りだったので、それをこんなゲームが作りたいからこのような技術を構築した、というようになるのは至難の業なのかもしれないが、やらなければ先は無いだろう。



 今回、富野由悠季氏の基調講演を読んで感じたのは、氏が団塊だとかRなんたらとかいう世代の枠には収まらない人物だということ。

 中年のカリスマであるとかナナロク、ハチロクといった、つまらぬ流行語にみられるような同年代、同世代にこだわるような小っさい器ではないというのが印象的だ。(語呂だけを意識してか6というなんとも中途半端な数字に対するこだわりが既に小さい(笑)。)

 歯に衣着せぬ物言いとよくいわれるが、自身の作品(ガンダム)に対してすら、「既に終わってる」なんて言える人間が他にいようか?

 大抵は、過去の栄光にしがみついて恥ずかしげもなく自画自賛するか、周囲から持ち上げられているにも関わらずいい気になっているかのどちらかだ。

 続編に次ぐ続編を連発して小銭を稼ごうとするせこい連中や、大手ゲームメーカーなどに対し、使い魔の如く媚びることで生計を立てている自称ゲーム評論家や専門家に氏の爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいくらいだ(笑)。

 個人的な忠告として、まず続編の連発だが頻繁に出しすぎるとユーザーは、どうせ次すぐでるから来年買おうなんて思っているうちに、作品そのものから遠ざかっていつのまにか忘れ去られることになる。(一度離れると途中からまた手を出すことへは躊躇するもの。)

 次、業界そのものが繁栄しないことには、その存在価値すらままならない評論家or専門家(共に自称である、ライセンス制でもなければ選挙で選ばれたわけでもない。)諸君だが、誰かの受け売りのようなウンチクをまるで自分で考えたかのようにもっともらしく語り、雑誌広告のような記事にまとめ上げて、はい終わりみたいなことは今後しない方がいい。

 そんなことより、幼稚園児並みのゲームスキルを少しは研いて、上級者の世界を少しは体感した上でないとレビュー記事は、単なる映画や読書の感想文と違いがないですよ。(見ただけ、聞いただけではお話にならない。)

 なにより、へなちょこのままじゃ何ら説得力がない。(出来もしないのに言うなってやつですよ?)

 極めつけは、なまっちょろい開発者や評論家or専門家の意見を拝見すると、彼らの考える将来のゲーム像は単に現在の映画(実写)並みのグラフィックになり、少しばかりAIが賢くなっただけで、ゲームの内容自体は現在と違いが無いものを遊んでいるように思える。

(GPUの向上によって写実的なグラフィック表現、GPGPUやCPUの向上で物理エンジンやAIの強化による高度な表現(群集や緻密な破壊表現等。)が可能になり、それがうまくできるようになったところで既存の、RPG、FPS、RTS、等と内容が変わらないものであるならいらない。)

 その程度の想像力や発想力しかない人達が開発や評論しているのかと思うと幻滅するしかない。

 ようするに、彼らの言う将来のゲームと現在のゲームとの違いは表現力の違いでしかないわけだが、それだけではゲーム業界に未来(さき)はない。


 久しぶりにすがすがしい内容(?)の富野氏の基調講演にこれ以上水を差したく無いのでここまでにしておきます。

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